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 講師紹介 〔桑野耕一先生〕
  数学工房は今を遡ること1995年に、数学の基本技術の稽古の場として、 現数学工房代表で講師を務めている桑野耕一とサイエンティスト社社長で 元数学工房事務局長の大野満夫氏によって産声をあげました。 それから現在に至るまで、唯一人の講師として数学工房を作り上げてきた 桑野耕一(くわのこういち)の人となりを、ここでは御紹介します。

Q_01
お生まれは?
Q_02
数学的なものへの最初の興味は?
Q_03
数学を志そうと思われたのはいつですか?
Q_04
ドイツ語の翻訳などをなさっていたと聞いたことがありますが。
Q_05
ドイツ語はどこで?
Q_06
学校では?
Q_07
その後の経緯を教えて下さい。
 
Q_01 お生まれは?
 1948年に埼玉県浦和で生まれたと聞いています。 すぐに引っ越したらしいので、記憶はありません。

Q_02 数学的なものへの最初の興味は?
 生後、半年から一歳にかけてらしいのですが、母におぶわれて毎朝、 勤めにでる為に最寄りの駅まで歩いていく父を途中まで見送っていました。 家から駅に行くのに途中が谷になっていて、坂を下りまた少し登るんです。 谷を用水の流れに添って降りていくと、ちょっとした平坦な台地になって5本 の路が交わり谷側に張り出すかっこうで小学校があり、見送り後、毎朝小学生 の体操を見て家に戻ったらしいのですが、この5本の路が交わる地形が妙に印象 的で、大人になっても要に見ることがありました。
 もう一つは遠近法的秩序ですか。これもまもなく絵を沢山描くようになり ましたから、今にして思うと絵画的な意味での絵ではなく視野に写る図形の 幾何学的な秩序を何とか紙の上に写しとりたくて、あくことなくせっせと絵 を描いていたことを記憶しています。

Q_03 数学を志そうと思われたのはいつですか?
 私は、音楽や文芸、深山を歩き廻ることに熱中するというのと同等な意味で、 数学的秩序に興味と憧れを持っていました。ゲ−テやト−マス・マン、ニ−チ ェの作品や、ワ−グナ−やR.シュトラウスや新ウィーン派の作品に熱中する程度 にラッセル、ポアンカレなどの数学と哲学にかかわる一般向け著作などは高校生 の頃に何回も読んでいます。創刊間もない数理科学や数学セミナーなども読んで いたらしい。(記憶にはないのですが)こういう調子ですから学校の数学とはほと んど縁がなくて、数学を大学で学ぼうなどと思ったのは、20歳の半ば位になってからです。

Q_04 ドイツ語の翻訳などをなさっていたと聞いたことがありますが。
 はい、でも翻訳業と言える程のことではありません。フリーターに毛のはえ た程度です。それでも結構大それた仕事を引き受けた覚えがあります。今では冷や汗ものです。

Q_05 ドイツ語はどこで?
 ゲ−テインスティトウ−トというドイツのデ−テ協会の経営する学校で初歩から学んだのです。 上のコ−スに行くと会話とか文法とか作文などという実用的なものばかりでなく、文学、音楽 や演劇のコ−ス、哲学の講読などもありました。 ともかく、文学や演劇、哲学の本を随分と乱読したような気がします。
 そうそう、数学のことでしたね。数学書と言えるものに出会ったのは、H.Grauert(H.グラウエルト) :Differential und Integralrechnung1.〜3.(微積分学)やC.L.Siegel(C.L.ジーゲル):Analytis che Zahlentheorie (解析数論)などで、当時数学をやっていた友人からもらったのです。目から うろこが落ちるの思いがありました。というわけで、年貢を納めてちゃんと勉強しようという気 になり、当世風の先がけとしてフリーターをやりながら東京理科大学の数学科に入りました。

Q_06 学校では?
 複素函数論の基礎を除いてはあまり記憶がありません。このときに、局所性と大域性をつなぐト ポロジ−という分野の面白さを知りました。
 あ、もう一つ、数理統計が面白くて上のコ−スまでとりました。ただし興味をもったのは、集合 論的な微積分や線型代数や函数論の諸事実が確率論や統計の場で出会い結びつく面白さです。 どうも我が強過ぎて、真に物事を学ぶには具合が悪かったようです。(ある意味では既に色々な ことを知っているのでそれが邪魔をするのです。)

Q_07 その後の経緯を教えて下さい。
 我が強過ぎたのか、我流で辿りついた視野から一歩も抜け出せないまま、もののはずみで大学院 に進学しました。専攻は函数解析。抽象函数解析の応用が一応のテ−マでした。あっちへ行ったり 、こっちへ行ったり勉強をしまくったのですが、「そもそも抽象解析は何をすることなのか、私に とって数学という行為は何を意味するのか?」という半ば哲学的な問に逢着し、答を見い出せぬま ま82年に博士課程を出て、その後アカデミニズムから離れてしばらく放浪する羽目になりました。
 その頃、機会があって「身体の発見、復権」をコンセプトにする様々な異領域の専門家達のワ− クショップなどに参加したり、新しい学校を創る運動などに加わったりしていたのですが、そのよ うな交流の中で、古流の武芸家の技術観と教育観に感銘を受け、それがヒントになって漸く自分自 身の問に具体的に答える確信を持ったのです。
 これは、数学工房を創り、数学の型をkey wordにして、自力で数学の領域にわけ入る為の最低限 の技術能力と尺度の開発を始めた動機の一つです。
 線型代数を全体のベ−スにし、抽象を使いこなすことを眼目にした稽古の体系を考え、線型代数 の技術的な分析や線型代数として捉えられる様々な古典モデルを調べ始めました。
97年には、ほぼ一通りの線型代数の型稽古ができるようになりました。様々な経験をしつつ改良 を加えながら現在に至っています。

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